ようやく30代の半ばをすぎて、神社仏閣の持つ不思議な力やその成り立ちに興味を持てるようになり、
仕事中に見掛けてはふらりと寄るようになりました。
先日、打合せの合間、ちょうどいい時間・場所にあったので、名古屋に住んでいながらもまともに
足を踏み入れた事すら無い「東別院」に行きました。
東別院とは
「正式名称を「真宗大谷派名古屋別院」(しんしゅうおおたにはなごやべついん)と言い、
尾張地方では古くから親しみをこめて「御坊さん」(ごぼうさん)とよばれてきました。
近年では名古屋市営地下鉄の駅名としても使用されている「東別院」のほうが馴染みが
あるかもしれませんね。
教えは親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とする「浄土真宗」(じょうどしんしゅう)で、
京都市にあります「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)(通称、東本願寺)」を本山とする
「真宗大谷派」(しんしゅうおおたには)のお寺です。
※お東ネットより
まずは立派な山門(さんもん)がお出迎え。
「最初の山門は、1757(宝暦7)年に建てられ、その後、1881(明治14)年に
再建されるも、戦災により焼失、現在のものは1968(昭和43)年に建てられたものです。
山門階上には、釈迦如来像(中央)、弥勒菩薩像(向かって右)、阿難尊者像(同左)が
安置されています。※お東ネットより」
とあるように、新しいとは言え50年程前に建てられたとは思えない程の綺麗さと荘厳さ。
改めて、名古屋の中心でこれだけのものが見れるとは。
これだけでも一見の価値あり。
山門をくぐると、正面には本堂。
「元禄3年(1690年)、尾張藩主徳川光友公より、古渡城跡の寄進を受け、
元禄15年(1702年)に、この地に名古屋別院が創建されました。その後、
二度にわたる再建が行われ、名古屋城天守閣とともに、その偉容を誇って
いました。しかし、昭和20年(1945年)3月の名古屋空襲により、灰塵に帰し、
現在の本堂は昭和37年(1962年)に再建されたものです。
毎日の永代経のほか、各種法要が勤められます。※同」
同じく1962年と比較的新しいとは言え、こちらも50年以上経過しているとは思えない程の状態でした。
いやはや、平日の昼間と言う事で参拝客がまばらだったこともあり、その静寂さがまた良いスパイスと
なってとても良い時間を過ごす事が出来ました。
建物の保存状態もさることながら、参道やトレイ、駐車場に至るまでしっかりと整備が行き届いていて、
職員(と言う呼び方が正しいかは分からないが)の方々の日頃の手入れはもちろんのこと、きちんと
地域に根付き、地域に愛されているお寺なのだと感じました。
こちらは対面所。
なかなか仕事でご一緒する機会のない方々ですが、何かにつけて身近な存在の神社や寺院。
これを期に、歴史や文化・成り立ちを勉強してみようと思います。
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